【ことば倉庫】

詩集『灰も落とせない指』更新中/ほか作品集は最下部から

⑧いまはそんなことより

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長い雨のあとが
どこかに残っていて
突然、間をおいて現れたような
蒸し暑い8月の午後
神宮外苑
細い身体のランナー
広いグラウンドで
僕らは草野球をただ 眺める

 

キンと強い打球音
ふっと見上げる青空
つんと頭刺すかき氷
舌の真ん中がレモン色

変わった形の建物
ゆるやかな落陽と
次第に強まる窓の明かり
少し荒れたグラウンドにふたり 立ってみた

 

誰かの忘れ物
荒れた硬式のボール
ふっと投げるその手
白くて とてもか細い

彼女が何かしゃべっている
僕はそれを眺めている

少し涼しい夏の暮れ
でもいまは、そんなことより

 

心持ちすねた
彼女の声が聞こえる
まずい何も聞いてやしない
時々、そんな繰り返しが
連結部分をおびやかす
アコーディオンを伸ばして
戻った拍子に弱音が鳴る

でも深呼吸すれば笑顔が戻るのを
幾度となく見てきたのが頼もしい

 

時々、僕らの表情は
望むよりずっと遠ざかる
まるで見当違いの球を
どこかへ逸らしてしまうように
彼女のグラブは柔らかすぎて
僕は端っから素手

頭ごなしに投げるのは 
やっぱり良くないことだな

 

彼女がボールを取りに行き
腰の高い草に埋もれる
砂交じりの風
淡いライトと淡い月
山なりの返球が
目測を越えて頭上を抜ける
その行方 追うには遠い
でもいまは、そんなことより

 

夏を飛び越えるように
帰り道 金網をくぐる
特別なことなど
何も語り合わなくても
不意にこけたり
はにかむ表情を
完璧より 理想より
僕は強く望んでいる

 

―8月<暮れ>の言葉―