【ことば倉庫】

詩集『灰も落とせない指』更新中/ほか作品集は最下部から

【11】KYOTO

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11. KYOTO/2004年3月

「よかったらうちで働いてみないか?」
図らずも、亨さんはそんな風に言ってくれた。全く知らない人よりはいい。そんなシンプルな理由だった。出勤はいつからでもいいから、とのこと。
「4月からお世話になります」
少しおっかないけど、うるさいよりは無口な人と過ごすほうが性に合う。

働き始めるまで、僕は忙しい日々を送ることになった。やっと卒論を書き終えたというのに、またしても書き物をするなんて。

指示は携帯電話にメールで届いた。
「出発までに、私の詩集をつくること」

 



青いノートに、思うがまま言葉をふっていく。1年間彼女と歩いた、広くて、狭くて、複雑な道。半年の期限をつけた過ごしたシンプルな日々。二本の線をそっと重ね合わせてみる。想像の中のそれらは並走して、時に裏表になってうねりながら時の中を進んでいく。

途中では何度も煮詰まった。歩いていけば何かが分かる、そう言い聞かせながら撮った東京の写真のコピーを気分転換に眺めてみる。何かが足りない、丁寧で、平凡な景色ばかり。締め切りを怖がる彼女と、誕生日ばかり気にする僕の言葉はどうにも混ざりようがないみたいだ。

だから僕は途中で、写真を見るのをやめた。何が東京かなんて考えを捨てて、僕が彼女に似合うと思った言葉だけを選んでいく。すると、ペンははばたくように進んでいった。

激しく書きつけると、もらいものの指輪がふたつこすれて音を立てる。

 

さあ、なんとか間に合った。

 

 

 

2004年3月、受け渡し場所はもちろん東京駅だ。
文さんは京都に発つ。写真の好きな彼女の新天地としてはぴったりの場所かもしれない。春先はどこが綺麗だろう。僕はまだ行ったことがないけれど、やっぱり嵐山とか、その辺が奇麗だろうか。きっと名所名跡を無視して、もたもたと写真を撮るんだろう。
東の京から、もともとの京に行くんだな。

 

待ち合わせは出発の1時間前。それだって十分に余裕はあったけれど、なんだか家にいるのが落ち着かなくて、さらに早く着いてしまった。

駅は平日にもかかわらず賑わっていた。無計画に買った土産物を抱えてはしゃぐ外国人と、誰とも目を合わせることなくシャッフルされる人たち。何もないから記念ができて、誰も知らないから交差が映える。それこそが東京の良さなのかもしれない。

一緒に撮った景色を思い浮かべる。その中にはふたりで撮った写真は見つからない。じゃあ長い時間が経ったあと、僕は何を見て彼女を思い出すんだろう? 写真は彼女の手にあって、詩集だって渡してしまう。今夜眠って起きて、両手が誰かを空振りしたら、何もかも消えたのと同じじゃないか。すごく寂しくて、ロマンチックな別れに思えた。

 

文さんはばたばたと駆け足で現れた。いつものようにパンパンのカバン。首からぶらさげた一眼レフ。丈の短いコートにスカート、ニット帽を被っていて、あとは……それくらいか。初めて会ったときとは違って、服装はそれほど鮮明に覚えていない。

「ちゃんと書いてきた?」
第一声は宿題のチェックから。僕はスカスカのショルダーバッグから青い詩集を取り出して、そっと渡した。彼女はそれをぱらぱらと軽くめくる。いくつかのフレーズに笑って、またいくつかに苦笑いして。
「新幹線の中で読むね」と言った。
ふとカバンに入るのか心配になる。別に、押し込んだってかまわないけど。

すると、彼女は現像した写真の束を取り出して僕にくれた。アルバムに入れたりはせず、生のままなのが彼女らしい。

いつ撮ったのかすら知らないものもたくさんあって、中には僕が写っているものもあった。バッティングセンターで空振りする場面。申し訳なさそうに背を丸めて、煙草を吸う場面。ふたりで写っているものはなかったけれど、1枚だけ、繋いだ手を水たまりごしに撮った写真があった。ある雨の日、YUKIが出ていた映画『水の女』を見たあとに撮ったものだ。

そうして、心配なくらいパンパンに膨らんだ彼女のカバンからは写真の束が消え、代わりに詩集が入った。

「くしゃくしゃになったら、また書きます」と皮肉を言うと、
「うるさいな。どうしてもまとまらないのだよ」
よかった。機嫌はいいみたいだ。

言葉と同じで、荷物にも必要と邪魔があると彼女は言った。同じところで隣り合ってくしゃくしゃになって、それでもどこかへ運ばれていく。

 

 

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いつもよりも喋らなかった。言わなければいけないことがあるような気もする。今さら、という気持ちもある。それなのに僕たちはただ、改札前の柱に寄りかかって時間を過ごした。

言葉は出てこないくせに、彼女が時計を見る一瞬がもったいなく思えてしまう。
「また、YUKIちゃんの話しようね」
懐かしい話題。人間大事なときには、最初に戻っていくものだ。

「最近、またよく聴いてます」
そのころ、YUKIはちょうどソロ活動を始めたところ。彼女が旅立った後に出したシングルは『Home Sweet Home』、そして『ハローグッバイ』。しばらくは曲が出るたび、感傷にひたって聴いていた。

「あーあ、君の歌声を聴いておけばよかったな」
文さんが残念そうに言った。
「君の家に遊びに行ってたころ、ギターはよく弾いてたけど、1回も歌ってくれなかったでしょう? きっと良い声だと思うんだけどな。喉のためにも、やっぱり煙草やめなきゃだめだよ」
さすがの僕も、その日ばかりは朝から一本も吸っていなかった。
「やめます、きっと。約束はできないけど」

 

10分前。
新大阪行が到着します、とアナウンスが流れる。僕は文さんのカバンを片手で下から支えながら、ホームまで見送りについて行く。長いエスカレーターは、こんな時に限って望む何倍ものスピードで昇っていく。派手なライトで光っていた1999年のそれとは違う、とてもシンプルなカタチだ。

「忘れないでね」
駅のホームで文さんはそう言って、両手で僕の両肩を軽く沈ませた。

パンパンに膨らんだ荷物をいっそう楽にするベージュのマフラー。
「間に合ってよかった」
軽く背伸びをして首に巻いてくれた。もし今日、煙草のにおいがしたら、あげなかったと嘘をついて。

とうとう新幹線が到着する。
乗り込む前、軽やかにスニーカーが半回転する。声が東京に紛れて消える。僕が最後に聞いた文さんの台詞は、不器用な彼女が放つにはあまりにも鮮烈でまっすぐだった。

「君ともう会えなくなるなんて、心に空白ができてしまうみたい。でもね、きっと――」

小さな手でカバンを2回、ポンポンと叩く。

 

「いくら頼んでも、いなくなってくれないの」

 

飴玉のように大きな眼が柔らかく潰れて光る。
その中には、確かに僕が映っていた。

 

 

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「窓」

髪型が決まらないと
外へ出ることもうとましい
潔癖で
派手に色めいた青春は
人をとてもおおらかに変えていく
すくいとる、滑らかな土の色
それさえも
ちょっと嫌味に見えたりして

人は変わっていくから
あきらめの言葉など
心の隅にそっと
埋めてしまえばいいよ

君が外を向いて
他の誰かも外を向くとき
窓はいくつかあるから
見えるものは違う
ふと見えた雑貨屋に駆け込んで
自分なりを探したりして
誰かのため
似合うプレゼントを見つけたら

馬鹿に素直に
向かい側の窓めがけ
力いっぱいに
放り投げるといいよ

自分のため
そんな言葉は頼りなくて
揺れる風に
移ろう服色のようで
だけど代わりに何か
眺めていたいもの 見つけたら
いまあることだけで
いいような気がしたりして

分かるかなあ
分かって
くれるかなあ


―11月<移ろい>の言葉―