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詩集『灰も落とせない指』更新中/ほか作品集は最下部から

【5】ロックンロールスター

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5. ロックンロールスター/1996~1997年

YUKIと出会って僕の人生は一変した。完全にスイッチが押されて、どこかへ進みたくて仕方がない。必然的に、自分が置かれている場所を見つめる日々が訪れた。

やがてホームページをつくり、自分の好きなものを発信するようになった。日々出会った本やCDについて、心が動いた記録を書きためた。きっと今だったら、ツイッターを始めていたのかもしれない。でも当時はそんな手軽な方法はなかったから、ひたすらまくしたてるしか方法がなかったのだ。中身が間違いだらけで、驚くほど凡庸であったとしても、ひとまず自分のカタチは出来上がっていく。

物事を育むとき、人目を気にしなくて済むというのは思いのほか大事なポイントだ。ギターを始めた初日にステージに出されて酷評されたら、誰だってギターを嫌いになるだろう。書くことも同じ。この時期、未熟なりに何かを語り続けたことは、やがていくつもの道を開いてくれた。

 

 

さて、人の作品を語るのにも飽きると、僕はやがて別のことを書くようになった。

たとえば同じ地元(八王子)の学習塾に通う、風変わりな女の子のこと。毬みたいにまん丸な髪の襟足だけを真っ青に染めていて、全体的に薄い顔立ちを補うように、目の下にはたくさんのラメがついていた。なんというか、パンクなこけしみたいな子だった。

ただ、ロビーはよく姿を見かけることはあっても、教室で一緒になることは1度もなかった。僕をそれをしばらく不思議に思っていたが、なんのことはない、勝手に出入りしていただけだった。同じ学校の友達や、なんといっても大好きなお兄さんがいたらしい。

こけしはすっかり周りになじんでいた。人に対する応接は決してやわらかいものではなかったが、裏表なく話すから人気があった。声がやたらと大きいために、僕は半強制的に彼女について知っていくことになる。

トレードマークの青い髪の毛はせわしなく形を変えた。時おり外に跳ねたり、トップにまとめられたり、たまに切りすぎたり。

 

こけしは周りから、ヒカリと呼ばれていた。
僕は中学から都心の高校に通っていたから、地元に知り合いは少なく、休み時間は突っ伏して過ごすだけ。そんな中イヤホンの音楽を通して聴こえるヒカリの声は、ささやかな楽しみだった。塾に着いた瞬間、いるかいないかが分かる。隠し事のできない声。

なんだかうらやましいという気持ちもあった。青春時代は自分のカタチが変じゃないかどうかに命がけで悩み、ギャンブルより不確かな現実に傷つくものだ。
僕は自分の声が嫌いだった。ギターみたいにいうなら立ち上がりも抜けも悪くて、ステージで奏でるにはとても向かない。喫茶店で店員を呼んだって、誰にも認識されないのだ。

ヒカリの声は液体とも気体とも違う質感で、心の中に滑り込む。その魅力を表現する適当な表現を探し、思いを巡らすうち、僕の言葉はいつしか詩のような形をとった。

 

初めて話をしたのは暑い日。
夏季講習の講義の合間に、塾の裏にある公園のベンチでコロッケパンを食べていると、目の前に大きな影ができた。えらく陽差しの強い日で、限界まで目を細めてやっと、シルエットの正体がヒカリだと分かったくらいだ。
ヒカリが自分の耳をとんとんと耳を叩く。それを合図に、ぼくは両耳からイヤホンを外した。

「いつもパン。それに、音楽聴いてる」とヒカリがつぶやく。そりゃそうだ、人間の形なんてそうは変わらない。

向こうが僕の名前まで知っているのかどうかは知らないが、どうやら興味をもってくれてはいたらしい。僕はなぜか髪を悟空みたいに立たせていたり、派手なバンドTシャツを着たりと迷走していたから、ひっかかるのも無理もない。

せっかく顔なじみのこけしに話しかけてもらったのに、僕は何を話していいのか分からなかった。なんてったって、どこまで向こうのことを知っていていいのかが難しいんだから。
とりあえず音楽の話をする。僕は一夜漬けで身に着けた最新の曲を仕掛けてみるのだけれど、彼女はストーンズについて熱弁するもんだから、話はいっこうに噛み合わなかった。

 

どうすればこの局面を打開できるのか。ひねりだした僕の提案は、いま考えればとてもシュールなものだった。
「ソフトクリームでも食べようか」
ああ、なぜあんなことを言ったのだろうか。
「おごってくれるなら」とヒカリは悪びれずに答える。一人っ子の僕にはなかなか言えないセリフだ。
まさかの作戦成功。やっぱり、甘いものは世界を救ってくれる。

極度の人見知りとパンクなこけし、微妙な距離でぺろぺろと涼んでみる。
「今日はそんなに暑くないね」と僕が言うと、
「だって、冷たいの食べてるから」とヒカリはケラケラ笑う。
そりゃそうか。頭の中で独り言をいってみる。男友達や親戚と違って、同級生の女の子の声はなぜこんなにも素直に頭の中へ収まるのだろう。そんなことを新鮮に感じたひと時だった。

 

ヒカリは遠くで見ていた時と同じように魅力的な子だった。ただ1点だけ、いつもよりずっと声が小さかったことには、ひそかにがっかりしていたのだけれど。

僕は、その時期に書いた自分の文章が好きだ。電脳空間の端っこでこそこそと書いていたものが、会話したことで自由になった。使い道のないラブレターが紙飛行機になったような。たった数分のやりとりなのに、新作の詩が無数に生まれていくのだから、若さゆえの想像力は素晴らしい。

ただ、残念ながら、あのソフトクリームがヒカリとの最後の晩餐になった。といっても、何かが壊れたわけじゃない。紙飛行機がいたずらに進路を変えて、別の土地へと不時着してしまったからだ。

 

1996年10月。
僕の16歳の誕生日を目前にして、PCに1通のメールが届く。

 

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はじめまして。

いつも見させてもらっています。

YUKIちゃん好きなの? 私も大好き

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その人は、僕がホームページのプロフィール欄に載せていた「好きなもの」の項目に共通点を見つけて、メールをくれた。確か、JUDY AND MARYの『クラシック』が発売されたばかりだった。

メールの最後には「AY@」と書かれていた。赤羽に住んでいる、1つ年上の女の子。

 

それからなんとなく、メールの交換が始まった。中学に引き続き、高校も男子校に通い始めた僕にとって、共学に通う女性の意見は貴重な情報源だ。ヒカリはまだ好きなのか、次に好きな人はできたのか。彼女は面白がって、たくさんの質問をよこした。なんでそんなに楽しいのかと聞き返すと、

「また、あの詩が読みたいから」と彼女は答えた。
自尊心をくすぐられる照れくささと、自分の書いたものが居場所を得たような安堵感があった。

 

当時はまだインターネットが普及し始めたころで、個人情報に対する危機感は薄かった。僕たちは無警戒に名前や住所を教え合い、何度目かの手紙で写真を交換した。写真の中の彼女はマンションの壁を背に、すました顔をして立っていた。髪は短くて、文面よりずっとクールな印象。

だけど本当に意外だったのは、便せんの裏に書かれた彼女の名前のほうだった。AY@は文と書くらしい。彩、綾、絢、亜矢。どれも抜群に似合いそうなのに、なぜかこの文字に限って、違和感が凄まじかった。

それが彼女の破滅的な文才に起因していると知るのは、ずっと後になってからの話。

 

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初めて会ったのは、知り合ってから半年後の1997年7月。場所は高円寺だった。その日の駅前の景色は、今でも鮮明に覚えている。

文さんは駅の柱にもたれかかって、片耳だけイヤホンをつけていた。薄手の黒いカーディガンと、白い花柄のプリーツスカート。腰がぎゅっと絞れたいかにも女の子らしいシルエットだった。彼女はためらう僕を見つけると小さく手を振る。そしてゆっくりと近づいて、向こうから声をかけてきた。

「〇君でしょ?」
僕のハンドルネームは名前の一部だからそのまま呼ばれても恥ずかしくはない。第一印象は、思っていたよりずっと表情豊かな人だった。

僕が「そんな風に笑うんですね」と不用意に漏らすと、
彼女は「失礼な!」と言いながら、口をすぼめておどけてみせた。
「あっ、もしかして写真見たからそんな風に思うのかな? あれは高校の入学式の前に撮ったやつで、制服も始めて着たときだったから、緊張してたの」
僕はぎこちなくうなずいた。たぶん、言葉を選ぶのが初めてだったから。

「背、思っていたより大きいね。声は、イメージ通り」
急に弱点に触れられて少し焦った。緊張でさらに声が詰まって、聞こえづらくないといいけれど。彼女はといえば、だいたい150センチあるかないか。やや高めで丸みのある声をしていた。

 

パル商店街裏手の古着屋や雑貨屋を、ガイドしてもらいながら回る。町中に、目がチカチカする色ののぼりが立っていた。道が狭いくせに自転車だらけだから、僕たちは何度も分断されることになった。誰かにぶつかりそうになったとき、彼女は行き、僕は立ち止まる。性格は、そのころからはっきりと違っていた。

「このお店でバイトしてるんだ。赤羽店の方だけど」
文さんが指差したのは、イートイン付のベーカリー。彼女の勤める店舗は大きなアーケード街の中心にあって、いつも自転車の無断駐車に困っているらしい。

「まかせてね」
彼女は先にドアをくぐり、トレーとトングを手にする。いっぺんに会話がなくなって、ふたりがひとりずつになった。バターの甘いにおいの中で、仕事モードになった彼女の姿を追う。ゆるいパーマのかかった髪。ややとがった耳と、やわらかな顎のライン。こんな子がせっせとパンを売っているなんて、完璧じゃないか!
気がついたら、僕は完全に見とれていた。

そんな阿呆をよそに彼女は手早く会計を済ませ、「今日はお願いがあるんだから」と財布を出す僕を制した。珈琲を2杯と3つのパンをトレイに乗せて、長居できそうなふかふかの椅子にさっさと陣取る。煙草はまだダメだった。

 

「実は、書いて欲しいものがあるんだけどね」
文さんが単刀直入に切り出す。それは記念すべき、初めての執筆依頼だった。彼女は僕が油断しているときに限って、前もって決めた計画や、結論をぶつけてくるのだ。

新年度、つまり高校3年から海外留学する友達のために、手作りの詩集を作りたいというリクエスト。絵も、写真も、すべてがイメージできているのだけれど、どうしても文章が思いつかないらしい。私が絵を描くから、空いた数行に何か書いて、とのこと。

その日から、初めて「つくること」を考えた。作る、造る、創る。字はどれでも構わないけれど、とにかく形にしなければいけないのだ。僕は知らない誰かに渡せるほど、上等な言葉など持ち合わせているのだろうか。人に捧げるのと、贈るのとでは勝手がだいぶ違った。

文さんは僕の心配をよそに、ひたすらアイデアを出し続けた。紙の色や、綴じ、加工をどう工夫して、どう凝りすぎないようにするか。お互いに印刷の知識なんてなかったし、もちろん予算にも限りがある。もちろん気の利いたアプリなんてあるわけがない。馬鹿高いインターネット料金ましになる時間を見計らって回線を繋ぎ、英語版のみの無骨な造りのソフトで写真や言葉を交わす。時間が足りなくなったら、また24時間後にやり直し。まるでスパイのようなやり取りが続いた。

そして一世一代のプレゼントが完成する。文さんは印刷したての詩集を胸に抱いて、ぺらぺらとページをめくり、息をのむようなリアクションをくれた。所詮は子どものまねごと。それでも、決して無駄ではなかったはずだ。何ももたない同士だからこそ、たくさんの言葉を重ねることができのだから。

 

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瞬膜

えっ、と詰まってしまうような言葉が来て
こわばった体の薄皮がむける
わずかな虚勢を実らせた
その結末がこれだ

泣きそうになって
えっと、だから、ってもがいてみようとする
誰も知らない表と裏のあいだで
瞬膜のレンズが傷ついていった

君は器用な舌で息抜いているか?
あるいはガレキの下で生き抜いているか?


志と頭が高い人の真ん中で
僕をなお求めてくれるかい?
同じ景色を数えることなく積み上げた
模細工の遠景を別物と呼べるかい?

ほら、今見えた! 流れ星みたいな嘘で
闇に見切れた白い帆が静かにきらめく

くだらないものを求めすぎてはいけないよ
でも、ずっと、
僕は求めているかもしれない

 

愚と善が点滅するランプを渡されて
明るく、ほら元気に!と声をかけられる
何も傷つくのが怖いわけじゃない
噛み砕いてしまうと苦いだけ

 

複雑にうねる波の中で
閉じかけのまぶたを閃光がかすめる
悔いるときは悔いればいい
ぐっ、と踏みとどまるすんでのところ

つぶっても探し出す君の目が
あたふたと、掴み取るんだ

 

意地と意地がぶつかる世界で
満員電車からすりぬける希望の中で
はがれそうな景色と目をつなぐもの
傷つき歪んだはずのレンズに名前をつける
眠るたびに治るはずだよね
黙ってちゃ伝わらないはずだよね

だけどどうしてか
恐る恐る目を閉じるたびに象った
ぐちゃぐちゃの景色を、僕らは傷名と呼んだ

 

―5月<瞬き>の言葉―